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2008.06.16

暴力と鬱と長い放浪

みなさんこんにちは。
今日もよいお天気ですね。
秋葉原が近いせいか、先週はずっと職場の上空がうるさかったです。
と思ったら今日もうるさいです。
ご無沙汰しておりました。
元気ではあったのですが、考える事があって、日記を書くのにはちょっと疲れていました。
しかし、世間でも色々イヤな事件とかあって、やっぱり書いておこうかと思う事があるので、つらつらと書いておきます。
自分の気持ちを整理するつもりで書いているだけなので、
別に楽しい話でもないし、支離滅裂になるかも、なので、
読んで下さるとゆー奇特な方は、その辺をご了承下さい。
そしてどーでもいい事ですが、サントリーのZERO DRY、不味い!


さてさて、まず、
数日前に、お友達の所で、自殺とか鬱病について
私としては、ちょいとそれは違うよ。つかも少し言ってしまえば、ちょいと腹が立つようなお話がありまして、
でもそれは、あくまでも「私としては」なので、別に誰が何を思っていてもよいのですが、まぁ腹の虫が治まらなかったので、自分の経験をつまびらかにしてみようかと思っていたのでした。
が、しかしそれも、
親しい方達にはすでにお話している事ですし、グダグダ書いても、読んでも、楽しい話でもないので、
やっぱや~めた。と思い、しかし何か引っかかったまま日が過ぎてしまいました。
しかし、また怖い事件が起きたりして、なんかまたザワザワするので、やっぱ書いておこうと、思ってしまったわけです。
まぁ私は、あまりステキじゃない両親の元で、あまりステキじゃない子供時代を過ごしまして、中学時代にはいっちょまえにイジメなんぞにも遭いましたが、
とりあえず社会人とゆーものになって、「イジメられてたんだよ」っつっても、「逆じゃない?」と言われる程度には強く成長いたしまして。
しかし、持ち前の性質なのか、これまた流行の最先端を行きまくって、公報のCMなんぞが注意を促すずっと前から鬱病なんてものにもなりまして、幽霊が見えたりワープしてみたりしていたのですが、めでたく回復して明るいOL時代を過ごしておりましたら、
例の。あの。平成6年の。なんともやり切れぬ事件があって、
あっこりゃもう死ぬな。
と思ったりする局面もあったのですが、
まぁそれでも図太く生きているので、今ここでこーして駄文を連ねているのです。
鬱に関しては、今でも小さな波は時々やって来るのでありますが、そんな物は、たとえその波が来て、波にもまれても、そんなのはもうちっとも怖くないのです。


さて、そんなこんなで、最近の自殺報道など見れば、それはやっぱ人情として、自分の経験にも思いを馳せてしまったりするのですが、
じゃぁなぜ私は死ななかったのか。と考えてみるのです。
ひとつは、
運がよかった
これは、そーゆー暗黒面から抜け出した後ずっと思っていることです。
これは、もしかしたら鬱を経験した人にしかわからないのかもしれませんが、ほんとーにね、やばい状態にある時、死にたいとか一歩踏み出す勇気とか、そんな能動的なあれこれはないんですよ。そこに立っているだけです。
気が付いたら(って死んじまったら気付きようもありませんが)あら、死んでた。ってくらいの・・・なんつーか・・。
でも私は死なずに気付けた。
そーゆー話を、知り合いの小学校教諭にしておりましたら、
「生命力が強かったんだね」と言われ、ああそーゆーことなのかも。運だけではなく、そーゆー物があったのかも。と思ったのでした。
なら、この生命力ってゆーのは何なのかと。


私は、幸いにもこーして生命活動を営みつつ、ステキな方に見付けてもらい、かわいい子供にも恵まれて、こーして日々過ごしていられるわけですが、
私の中には、私の、あまりステキじゃない両親の血が流れ、あまりステキじゃない記憶があったりするわけで、そーゆー物は確実に私の中にあって、私の娘にも受け継がれて行くかもしれない。
前述のお友達の話の中で特にカチンと来た所があるのですが、別の話を例に出すと
殴られて育った子は殴る親になる。とゆーわりかし有名なあの話。
私は、この話は、子供を育てる者が自戒として心に留めておく分にはよいと思うのですが、そーなるとゆー事実として話されることには憤りを感じます。
不幸な子供は一生不幸でなければいけませんか?不幸は継承しなければいけませんか?
親の存在は、確かに大きいですが、ダメな親を持った子供は、その部分でだけ不幸であればいいのです。
それだけだと、私は思います。
しかし、この先、私の愛する娘に、どーゆー試練が待っているかはわからないし、私の不安定な性質が受け継がれていないとも限りません。それは本当に恐ろしいことでありますよ。
でも私は生きている。娘にも幸せに生きて行ってほしい。
辛い事もいっぱいあるかもしれないけれど、辛いだけだったと思いながら人生を終わらせて欲しくない。


そこでさて、「生命力」です。
先日私は、永野のりこさんの「電波オデッセイ」がすごい!とゆー話を書きましたが、これ、ほんとーによいです。
このお話のモチーフで、
「オミヤゲ」
とゆーのが出てきます。ややネタバレになるのかもしれませんが、古い作品だし、書かないと話が進まないので書かせて頂きますが、
自分はこの世界にやってきた旅行者で(ナガノさんって、もしかしてやっぱりカトリックではないですか?)、いつか自分の世界へ帰る時、持って帰れるオミヤゲは、心ひとつ分の思いだけ。
心ひとつに、どれだけステキな「オミヤゲ」を入れて行けるかとゆー事が大きなテーマになっているのです。
そしてね、これは「死」を前提とした話ではあるのですが、「生きていく」上で、とても大切な事なのだと思うのです。
例えば、物語の最初で、挫折しかけた主人公の原さんがオデッセイに
「何もオミヤゲはないの?」とゆーよーな事を聞かれて、「ぜんぜんだよ」と答えつつ
でも、小学校3・4年のクラスがね・・
と思い出すのとか。ほんとに些細な事なのだけれど、そーゆー楽しかった思い出とか、そーゆー事が、生きている事もそんなに悪くないかも。って思える力になる。
ほんとのところ、私自身、やばかった時、そーゆー事は全然考えなかったのですが。でも、
生きていてもいい理由があったのだと
そー思うのです。
って、死ぬ理由もめちゃくちゃ感じていたので、その辺はやっぱ運・・・なのか?とも思ったりもするのですが、生きていていい理由の方が重ければ、やっぱそっちに傾くと思うのですよ。
しかしそれは、
「電波オデッセイ」で原さんが、お母さんとのステキな思い出を、「忘れてた」ように、忘れてしまうかもしれないし。
でも何かのきっかけで思い出すかもしれない。そしてそれは必ず自分を助けてくれるのです。
ぶっちゃけ私めは、ご両親様に、お前は×××××で×××××だから××、くらいに言われて大人になりましたけれど、それだけではない何かももらえたから、今ここに存在できているのだと思いますよ。


私が、私の子供にとって、ステキな親かどうか、今後ステキな親になれるのかはまったくわかりませんが、とりあえず、私は、私の好きな人達の幸せを願っておりますので、私の声も届かぬ所にその方々がいたとしても、私自身がそーゆー所へ行ってしまっても、なにかの時に力になれるような「オミヤゲ」を用意してあげられるように、ただ協力するばかりなのであります。


とまぁ書けばいくらでも言いたい事はあるのですけれど、
長くなったので、そろそろこの辺で終わり。
ステキなオミヤゲを持っていて、自分でもそれをよくわかっていても、それでもやっちまった人の話とかも、聞いた事があるので、やっぱ難しい事もあるのですけれど、
何かドン詰まりなような気がしていても、よ~くよく周りを見てみれば出口はどこかにあるのではないかと・・ある事の方が多いと思いますので、不幸にとっ捕まって苦しくても、目を開いていることは大切なのではないかと、
って、やっぱりぐだぐだになってしまいました。
もう少しよい書き方が見つかればいいのですが・・・今はこれまで。


★★★今日読んでいる本★★★
「日本文化の形成」宮本 常一/講談社学術文庫

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Comments

rain sprinkle

はじめまして。

人間が生きて行く途上で、様々な試練や悩みがあります。
最近、「死にたい」とか「人を殺したい」という人が急増しているように感じていますね。

人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。
愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)                   

★私のブログから:「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705

「人生の目的と意味は何か」:
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519

Posted by: TAKAHSHI | 2008.06.16 at 16:46

>TAKAHSHIさん

こんにちは。はじめまして。
ご来訪ありがとうございます。

なんのために生きるのか
難しい問いですね。
この問題を考える事は、大切なことであり、必要なことでもあると思うのですが、
その結論が「空しさ」で、
「死んでもいい」「殺してもいい」という考えに繋がってしまう人が増えているというのは、どういうことなのでしょう?
無心に生きることができないというのは、哀しいことですね。

私は一介の主婦にしか過ぎませんので、
難しい事は何もわかりませんが、
子供がこれから生きていく世界で、そんな哀しい思いをしないように考えていきたいと思います。

Posted by: じゅんこ | 2008.06.17 at 10:48

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